デモクリトス(紀元前460頃~紀元前370頃)
古代ギリシア時代のエーゲ海北岸、トラキア地方・アブデラの生まれで、原子論者として有名です。レウキッポスを師とし、彼とともに古代原子論の祖といわれています。
デモクリトスは大きな財産を相続し、その財を資金に色々な土地を旅し、多くの学識者と交流を持ちました。しかし最後は財産を使い果たし、故郷で兄弟に養われたようです。彼は陽気な性格だったために「笑う哲学者」とも呼ばれました。
■アルケーはアトムである
デモクリトス以前にも多くの哲学者たちが「アルケー(万物の根源)とは何か」ということを考えてきましたが、デモクリトスは「万物は原子(アトム)から成り立っている」としました。「アトム」とは分割不可能な物質の単位で、その存在と運動の場所として上下のない「空虚」の中で、生成や消滅などの現象が起こる、と考えたのです。
しかし当時のギリシアではデモクリトスの考えは受け入れられず、彼が著したとされる約70冊の本も残されていません。デモクリトスとほぼ同じ時代の哲学者としてプラトンがいますが、プラトンはデモクリトスの学説を否定し、彼の書物を焼き払ったとまでいわれています。その後アリストテレスが登場し、万物の根源についての説としては「四大元素」が主流になっていきます。
デモクリトスの説については後にローマの哲学者で詩人でもあるルクレティウスが「物の本質について」という詩物語を書き、その中でデモクリトスの原子説を紹介しています。この本は評判を呼び、写本が数多く作られました。1400年代に活版印刷術が発明されるとその初期に印刷されたものの中に、この「物の本質について」も入っていました。
このようにして、デモクリトスの原子説は後世に伝えられることとなったのです。
■錐の体積
「錐の体積は、同じ底面を持つ柱の体積の3分の1である」ということが知られていますが、このことについて最初に述べた人物がデモクリトスである、とアルキメデスの「方法論」の中に記されています。証明自体は約50年後のエウドクソスが行いました。
他にも数学では幾何学についての著作が多数あったとされていますが、残されていません。一説には50以上もの著作があったといわれています。
★デモクリトスに関する雑学
・名言
「いかなることも偶然には起こりえない」、「多くの愚者を友とするより、一人の知者を友とするべきである」等、デモクリトスは多くの名言を残しています。
・月のクレーター、小惑星
月の表側、北部にあるクレーターには、デモクリトスにちなんで名づけられたものがあります。
このクレーターは氷の海の北に位置しています。
またエリック・エルストがヨーロッパ南天文台で発見した小惑星も、デモクリトスの名がつけられています。