2017年8月31日木曜日

ソフィア・コワレフスカヤ

ソフィア・ヴァシーリエヴナ・コワレフスカヤ(1850年~1981年)

ソフィア・コワレフスカヤはロシアの数学者です。

コワレフスカヤは父や叔父の影響で、幼少時から数学に興味を持っていました。しかし当時のロシアでは女性が高等教育を受けることは許されておらず、ハイデルベルク大学では非公式の聴講生として講義を受講していました。
そのような不遇な状況に置かれていたコワレフスカヤでしたが、ハイデルベルク大学での師であるレオ・ケーニヒスベルガーから、カール・ワイエルシュトラスへの賞賛の言葉を何度も耳にし感化されます。後にコワレフスカヤはドイツ、ベルリン大学のワイエルシュトラスを訪れ、彼に才能を認められ長きに渡り数学の教えを受けることとなりました。

1884年にはスウェーデンの数学者であるミッタク=レフラーの支援によりストックホルム大学非常勤講師となり、その後1889年に晴れて教授となります。ロシア人女性としては初の大学教授でした。


■コーシー=コワレフスカヤの定理

コワレフスカヤはクレレ誌において偏微分方程式についての研究論文を発表し、この中で現在「コーシー=コワレフスカヤの定理」と呼ばれる定理を証明しました。
この理論はまずコーシーが特別な場合の解を与え、コワレフスカヤは更に一般的な場合の解を与えて理論を完成させました。


★ソフィア・コワレフスカヤに関する雑学

・コワレフスカヤはロシアで初めて女性大学教授となりました。
ヨーロッパを含めるとラウラ・バッシが初めて、マリア・ガエターナ・アニェージが2番目、コワレフスカヤが3番目となります。

・ノーベル賞には数学賞がありません。その理由は明らかになっていませんが、一説ではノーベルのコワレフスカヤへの恋心が実らず、もしもノーベル数学賞を作ったらコワレフスカヤと親しいミッタク=レフラー(スウェーデンの数学者、1846年3月16日~1927年7月7日)が受賞するかもしれないと考えたためではないか、とも言われています。

・コワレフスカヤは数学の他に文学的才能も持ち併せており、彼女の執筆した小説は多くの国々で翻訳・出版されています。


★備考

Sofia Vasilyevna Kovalevskaya
生没年:1850年1月15日~1891年2月10日(インフルエンザのため)
生地:ロシア、モスクワ
没地:スゥエーデン、ストックホルム
夫:ウラジーミル・オヌーフリエヴィチ・コワレフスキー (地質学・古生物学者)
父:ヴァシーリイ・ヴァシーリエヴィチ・コールヴィン=クルコーフスキー
 ( ロシア帝国軍陸軍中将 、1800年~1874年 )
母:エリザヴェータ・フョードロヴナ・シューベルト
祖父:テオドール・シューベルト(数学者・天文学者)
叔父:ピョートル・ヴァシーリエヴィチ・クルコーフスキー
姉:アンナ(作家、1843年~1887年)
弟:フョードル(ロシア帝国軍将軍 )
主な著書:『ソーニャ・コヴァレフスカヤ―自伝と追想』