2015年6月29日月曜日

オーガスタス・ド・モルガン

オーガスタス・ド・モルガン(1806年~1871年)

オーガスタス・ド・モルガンは、イギリスの数学者です。ド・モルガンの法則で知られています。


■ド・モルガンの法則

モルガンは数理論理学、集合論において、論理積、論理和、否定の間に成り立つ関係を示しました。これらの関係は「ド・モルガンの法則」と呼ばれています。


■数学的帰納法

「数学的帰納法」(mathematical induction)という言葉は、1838年にド・モルガンによって命名されました。


★備考

Augustus de Morgan
生没年:1806年6月27日~1871年3月18日
生まれ:インド・マドゥライ
父:ジョン・ド・モルガン、イギリス東インド会社勤務
子:ウィリアム・ド・モルガン(William De Morgan、1839年11月16日~1917年1月15日)、小説家、デザイナー、画家、陶芸家

ユニヴァーシティ・カレッジ教授(ロンドン・1828年)
ロンドン数学会(The London Mathematical Society、略称LMS)初代会長(1865年1月16日)

2015年6月18日木曜日

ウィリアム・ローワン・ハミルトン

ウィリアム・ローワン・ハミルトン(1805年~1865年)

ウィリアム・ローワン・ハミルトンはイギリスの数学者、物理学者です。四元数と呼ばれる高次複素数の発見で知られています。


■四元数の発見

ハミルトンは、複素数を三次以上に一般化しようとしていました。
1843年10月16日の月曜日、ハミルトンがダブリン市内のロイヤル運河沿いを妻とともに歩いていると、四元数の元となる概念が頭の中で閃いたのです。ちょうどブルーム橋のさしかかったところだったので、ハミルトンは四元数の基本公式

 i^2 = j^2 = k^2 = ijk = -1

を、ブルーム橋の石に刻みつけました。

ドイツの数学者ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス(1777年~1855年)も1819年にハミルトンに先駆けて四元数を発見していましたが、そのことが公表されたのは1900年になってからのことでした。


★ウィリアム・ローワン・ハミルトンに関する雑学

・ブルーム橋の碑文

初代アイルランド首相・第3代大統領であるエイモン・デ・ヴァレラ(1882年10月14日~1975年8月29日)が、ハミルトンがブルーム橋に四元数の基本公式を刻んだというエピソードを記念して、ブルーム橋に石の碑文を設置しました。

・ウィリアム・ワーズワース
イギリスの代表的なロマン派詩人、ウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth、1770年4月7日~1850年4月23日)はハミルトンと親友でした。


★備考

William Rowan Hamilton
生没年:1805年8月4日~1865年9月2日
生まれ:アイルランド首都・ダブリン
父:法律事務所経営
兄弟:9人兄弟の4番目
主な著書:1853『四元数講義』、『四元数の基礎』