2012年5月30日水曜日

ヨハン・ベルヌーイ

ヨハン・ベルヌーイ(1667年~1748年)

ヨハン・ベルヌーイはスイスの数学者で、有名な学者を多く輩出したベルヌーイ家の生まれです。ヨハンはロピタルの定理の発見者として知られています。
また、ヨハンはレオンハルト・オイラーに数学を教えました。オイラーの父はオイラーに神学の道にに進むことを希望していましたが、ベルヌーイ家の説得によりオイラーは数学の道に進むことができました。


■ロピタルの定理

ヨハン・ベルヌーイはギヨーム・ド・ロピタルに数学を教えていましたが、ロピタルはベルヌーイの研究について使用してもよいという取引をしました。
その後ロピタルが出版した数学書にはベルヌーイの業績も多く含まれていましたが、その一つに「ロピタルの定理」があります。


★ヨハン・ベルヌーイに関する備考

Johann Bernoulli
生没年:1667年7月27日~1748年1月1日
生まれ:スイス
父:ニコラス・ベルヌーイ
母:不明
兄:ヤコブ・ベルヌーイ
息子:ニコラスII世、ダニエル、ヨハンII世

2012年5月27日日曜日

アブラーム・ド・モアブル

アブラーム・ド・モアブル(1667年~1754年)

アブラーム・ド・モアブルは、フランスの数学者です。
ド・モアブルの定理で知られています。


■ド・モアブルの定理

任意の整数nに対して

(cos θ + i sin θ)^n = cos nθ + i sin nθ

が成り立ちます。
これはド・モアブルが三角関数の加法定理を用いて証明し、「ド・モアブルの定理」と呼ばれています。この定理を元にして、三角関数n倍角の公式を導くことができます。


★アブラーム・ド・モアブルに関する雑学

ド・モアブルはある日、自分の睡眠時間が毎日15分ずつ長くなっていることに気がつきました。
彼は等差数列を用いて睡眠時間が24時間となる日を算出し、自分はその日に死ぬだろうと予測したのですが、ド・モアブルが予想したその日に彼は本当に亡くなったという逸話があります。


★アブラーム・ド・モアブルに関する備考

Abraham de Moivre
生没年:1667年5月26日~1754年11月27日
生まれ:フランス、シャンパーニュ地方
父:不明
母:不明

2012年5月24日木曜日

ヨハン・ハインリッヒ・ラーン

ヨハン・ハインリッヒ・ラーン


ヨハン・ハインリッヒ・ラーンは、除算記号を考案したことで知られています。


■除算記号「÷」

除算記号は、ラーンの1659年に代数学の書『Teutsche Algebra』において発表されました。

「÷」の記号は割り算を分数として表わした形を示しており、横線の上下の「・」は、分子と分母を表わしているという説があります。
これとは別に、「÷」の記号は割り算を分数で表わしたときの横線で、横線上下の「・」は「-」(マイナス)の記号と区別するためにつけられたもの、ともいわれています。

除算記号については、同書の編集者だったイングランドの数学者ジョン・ペルを考案者とする説もあります。ラーンはジョン・ペルの弟子でした。
なお『Teutsche Algebra』では「*」も乗算記号として使われていました。


■「∴」

「ゆえに」を表す記号「∴」は、ラーンが1656年に自著で使用したのが最初であるといわれています。


★ヨハン・ハインリッヒ・ラーンに関する備考

生没年:不明
生まれ:不明
父:不明
母:不明
主な著書:1659年『Teutsche Algebra』

2012年5月21日月曜日

ギヨーム・ド・ロピタル

ギヨーム・ド・ロピタル(1661年~1704年)


ギヨーム・ド・ロピタルは、フランスの数学者です。
ロピタルの定理の名で知られますが、この定理の発見者はロピタルではなく、ヨハン・ベルヌーイによるものとされています。


■ロピタルの定理(ベルヌーイの定理)

ロピタルの定理は、ヨハン・ベルヌーイによって発見されたものとされています。
ロピタルはベルヌーイから数学を学んだのですが、ベルヌーイの発見をロピタルの著書へ使用する契約を結びます。
ロピタルは欧州で最初の微分積分学の教科書『無限小の解析』を出版しますが、その中にはこの定理を含むベルヌーイの業績が多く含まれていました。


★ギヨーム・ド・ロピタルに関する備考

Guillaume Francois Antoine Marquis de l'Hopital
生没年:1661年~1704年2月2日
生まれ:フランス・パリ
父:不明
母:不明
主な著書:1696年『無限小の解析』(l'Analyse des Infiniment Petits pour l'Intelligence des Lignes Courbes)

2012年5月17日木曜日

ヤコブ・ベルヌーイ

ヤコブ・ベルヌーイ(1654年~1705年)


ヤコブ・ベルヌーイはスイスの数学者です。ベルヌーイ家は多くの学者を生んだことで有名です。レオンハルト・オイラーの父に数学を教えたことでも知られています。他にはゴットフリード・ウィルヘルム・ライプニッツとも交流を持ち、数学の発展に貢献しました。


■ベルヌーイ試行

・AかBのどちらか一方しか起こらない
・試行をn回繰り返すとき、1試行ごとの成功確率が一定
・試行をn回繰り返すとき、試行ごとの結果は互いに独立である

このような試行のことを「ベルヌーイ試行」と呼びますが、これはヤコブ・ベルヌーイにちなんで名付けられました。


★ヤコブ・ベルヌーイに関する備考

Jakob Bernoulli
生没年:1654年12月27日~1705年8月16日
生まれ:スイス・バーゼル
父:ニコラス・ベルヌーイ
母:不明
弟:ヨハン・ベルヌーイ
主な著書:1713年『推測法』(Ars Conjectandi, Opus Posthumum)

2012年5月14日月曜日

エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウス

エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウス(1651年~1708年)

エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスは、ドイツの哲学者、数学者、物理学者です。チルンハウス変換の他、ヨーロッパにおいて白磁器の発明に貢献した人物としても知られています。


■チルンハウス変換

3次方程式はタルターリアとカルダーノ、4次方程式はフェラーリにより、解の公式が発見されました。次の問題は一般的な5次方程式

ax^5 + bx^4 + cx^3 + dx^2 + ex + f = 0

について、「四則演算と根号操作によって解を求めることができるかどうか」を証明することでした。

4次方程式についてはフェラーリが4次の方程式を2次や3次の方程式に帰着させることにより解かれたのですが、5次方程式についても次数の低い方程式に変換しようとするアプローチが行われました。
チルンハウスはこの変換を考え出し、5次方程式の4次と3次の項をなくすことに成功しました。


★エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスに関する備考

Ehrenfried Walther von Tschirnhaus
生没年:1651年4月10日~1708年10月11日
生まれ:ドイツ
父:不明
母:不明

2012年5月11日金曜日

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646年~1716年)

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツはドイツの哲学者、数学者です。微積分法の発見の他、ベルリン科学アカデミーの設立に貢献し、初代会長となったことでも知られています。


■微積分法

微積分法の発見者としてはアイザック・ニュートンが知られていますが、ライプニッツはニュートンとは独立して微積分法を発見しました。ライプニッツは微積分法について1684年に発表しています。
ニュートンとライプニッツの微積分法では別々の記号が使用されていましたが、ライプニッツの記号の方が優れていたため、今日ではライプニッツの表し方が使われています。


★ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツに関する雑学

月のクレーターには、ライプニッツにちなんで名付けられたものがあります。
小惑星にも、ライプニッツにちなんで名付けられたものがあります。


★ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツに関する備考

Gottfried Wilhelm Leibniz
生没年:1646年7月1日~1716年11月14日
生まれ:ドイツ・ライプチヒ
父:大学の道徳哲学教授
母:法律学者の娘
主な著書:『形而上学叙説』

2012年5月8日火曜日

関孝和

関孝和(1642年~1708年)

関孝和は日本の数学者です。点竄術の考案で知られています。


■点竄術(てんざんじゅつ)

中国で生まれた代数問題の解法を「天元術」と呼びますが、沢口一之著『古今算法記』にある天元術を、関は大幅に改良しました。「点竄術(てんざんじゅつ)」を考案し、筆算式の代数学を考案したのです。これは1674年の『発微算法』の中で用いられ、「算木」という棒を用いる計算ではなく、紙の上の文字を用いて計算をする、筆算式の代数学となりました。
ただし関の記号は加・減・乗だけで、除については関の弟子である建部賢弘によるものとなります。


■円周率

関は円に内接する正多角形の周を計算することで、円周率を小数第11位まで求めました。
関が計算した円周率は、3.14159265359となります。これは正131072角形を用いて求められました。


★関孝和に関する雑学

上毛かるたの「わ」の札では、「和算の大家 関孝和」と詠われています。



★関孝和に関する備考

生没年:1642年~1708年12月5日
生まれ:上野国藤岡(現在の群馬県藤岡市)もしくは江戸(現在の東京都小石川)
父:内山永明
母:不明
主な著書:『発微算法』

2012年5月5日土曜日

アイザック・ニュートン

アイザック・ニュートン(1643年~1727年)

アイザック・ニュートンはイギリスの自然哲学者、数学者です。
光の分解、万有引力、微積分法の発見は、ニュートンの3大業績といわれています。


■プリンキピア

1687年に『プリンキピア』(自然哲学の数学的諸原理)を著しました。この中で万有引力や運動方程式について書かれており、ニュートン力学として知られることになりました。

微積分については、古代から「取り尽くし法」や面積・体積の考察等において、微積分法につながる考え方は用いられていました。ニュートンは、微積分法の概念を数理物理学の問題を解くのに用います。
ゴットフリート・ライプニッツは微積分法の考え方を体系化しましたが、当初はニュートンの盗作だと非難されました。現在では、ニュートンとライプニッツは、互いに独立して微分積分学を発明したとされています。


★アイザック・ニュートンに関する備考

生没年:1643年1月4日~1727年3月31日
生まれ:イングランド・リンカーンシャー州・ウールスソープ-カールスターワース村
父:アイザック・ニュートン
母:ハナ・アスキュー
主な著書:『プリンキピア』(Principia)

2012年5月2日水曜日

ブレーズ・パスカル

ブレーズ・パスカル(1623年~1662年)


ブレーズ・パスカルはフランスの哲学者、思想家、数学者、物理学者、宗教家です。
「人間は考える葦である」という言葉で有名です。数学ではパスカルの定理やパスカルの三角形などの発見で知られています。
10歳にもならない時分に、三角形の内角の和が二直角であることや、1からnまでの和が(1+n)n/2であることを自力で証明した、という逸話があります。


■パスカルの三角形

最上段に1を、それより下の行はその位置の右上の数と左上の数の和を配置していくと、下のような三角形が出来上がります。これを「パスカルの三角形」と呼びます。

     1
    1 1
   1 2 1
  1 3 3 1
 1 4 6 4 1
1 5 10 10 5 1

この三角形の各行の数は、以下のように(a+b)のべき乗の展開式の係数に対応しています。

(a+b)^1 = a + b
(a+b)^2 = a^2 + 2ab + b2^
(a+b)^3 = a^3 + 3a^2*b + 3ab^2 + b^3
(a+b)^4 = a^4 + 4a^3*b + 6a^2*b^2 + 4ab^3 + b^4
(a+b)^5 = a^5 + 5a^4*b + 10a^3*b^2 + 10a^2*b^3 + 5ab^4 + b^5

この三角形にはパスカルの名前がついていますが、実際にはパスカルより何世紀も前の数学者達も研究していたことが分かっています。


★ブレーズ・パスカルに関する雑学

フランスで発行されていた500フラン紙幣には、パスカルの肖像が使用されていたこともあります。


★ブレーズ・パスカルに関する備考

Blaise Pascal
生没年:1623年6月19日~1662年8月19日
生まれ:フランス中部・クレルモン
父:税務官
母:不明
主な著書:『パンセ』