2012年6月28日木曜日

ガスパール・モンジュ

ガスパール・モンジュ(1746年~1818年)

ガスパール・モンジュは、フランスの数学者です。画法幾何学の創始者として知られています。


★ガスパール・モンジュに関する雑学

・蜃気楼

モンジュは1798年のナポレオンのエジプト遠征に同行しました。この時に砂漠の蜃気楼の原因解明を後に行ったことが知られています。
また「mirage」という単語は、ナポレオン遠征時にモンジュが命名したという説もあります。

・エッフェル塔
エッフェル塔には、フランスの科学に貢献した72人の科学者の名前が刻まれていますが、その中にはモンジュの名も含まれています。

・ミサイル追跡艦
フランス海軍のミサイル追跡艦にはモンジュという名のものがありますが、これはガスパール・モンジュにちなんで名付けられました。


★ガスパール・モンジュに関する備考

Gaspard Monge
生没年:1746年5月9日~1818年7月28日
生まれ:フランス、ブルゴーニュ、コート=ドール県、ボーヌ
父:ジャック・モンジュ
母:不明
弟:ルイ、ジャン
主な著書:1799年『画法幾何学』(Geometrie descriptive)、1804年『解析学の幾何学への応用』(Application de l'analyse a la geomerie)

2012年6月25日月曜日

ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ

ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ(1736年~1813年)

ジョゼフ=ルイ・ラグランジュは、イタリアの数学者です。フランスの理工系高等教育機関エコール・ポリテクニークの初代校長としても知られています。


■四平方定理

「全ての自然数は、高々四個の平方数の和で表される」という性質について、ラグランジュが証明をしたことから「ラグランジュの四平方定理」と呼ばれています。


■5次方程式

4次までの方程式については既に解法が見つかっていましたが、5次以上の方程式については長い間解法が見つからないままでした。
ラグランジュは5次方程式についての研究において、方程式がべき根によって解けるかどうかは解の置換に関する対称性によって決まる、ということを発見しました。


■ラグランジュの定理

群論において「有限群Gの部分群Hの位数は、Gの位数を割り切る」という定理は「ラグランジュの定理」と呼ばれています。
ラグランジュは代数方程式の解法について研究した際に、解の置換に関する対称性に着目してこの定理を証明しました。当時は群の概念はまだまとめられていなかったのですが、ラグランジュの考えは群論の先駆けとなるものでした。


★ジョゼフ=ルイ・ラグランジュに関する雑学

・歴史上の偉人たちとの関係
ラグランジュはマリー・アントワネットの数学教師でした。
またラグランジュについて、ナポレオン・ボナパルトは「数学界のピラミッド」、フリードリヒ2世は「ヨーロッパ最大の数学者」と讃えたといわれています。

・エッフェル塔
エッフェル塔には、フランスの科学に貢献した72人の科学者の名前が刻まれていますが、その中にはラグランジュの名も含まれています。


★ジョゼフ=ルイ・ラグランジュに関する備考

Joseph-Louis Lagrange
生没年:1736年1月25日~1813年4月10日
生まれ:イタリア、トリノ
父:不明
母:不明
主な著書:『解析力学』

2012年6月22日金曜日

エドワード・ウェアリング

エドワード・ウェアリング(1734年~1798年)

エドワード・ウェアリングはイギリスの数学者です。「ウェアリングの問題」の提唱者として知られています。「ウィルソンの定理」で知られるジョン・ウィルソンは、ウェアリングの弟子となります。


■ウェアリングの問題

ウェアリングは1770年に『Meditationes Algebraicae』を著しましたが、その中で

2以上の自然数に対して、
「全ての自然数は s 個の負でない k 乗数の和で表される」
という性質を満たす整数 s が存在するか

という問題を提示しました。
ウェアリング自身はこの問題に照明はつけなかったのですが、1909年にドイツの数学者ダフィット・ヒルベルトがこの問題を解決しました。


■対称式

任意の対称式は、基本対称式を用いて表すことができます。このことはウェアリングやフランスの数学者アレクサンドル=テオフィル・ヴァンデルモンドによって示されました


★エドワード・ウェアリングに関する備考

Edward Waring
生没年:1734年~1798年8月15日
生まれ:イングランド、シュロップシャー州オールド・ヒース
父:ジョン・ウェアリング
母:エリザベス
主な著書:1770年『Meditationes Algebraicae』

2012年6月19日火曜日

ヨハン・ハインリッヒ・ランベルト

ヨハン・ハインリッヒ・ランベルト(1728年~1777年)

ヨハン・ハインリッヒ・ランベルトは、ドイツの数学者です。ユークリッド幾何学の第5公準についての研究や、円周率が無理数であることを証明したことなどで知られています。


■円周率は無理数である

1761年、ランベルトは円周率が無理数であることを証明しました。円周率が無理数であることは紀元前にアリストテレスが予想していましたが、証明はランベルトによるものが初めてとなりました。
厳密な証明は1794年フランスの数学者アドリアン=マリ・ルジャンドル、円周率が超越数であることの証明は1881年ドイツの数学者フェルディナント・フォン・リンデマンによるものとなります。


ヨハン・ハインリッヒ・ランベルトに関する備考

Johann Heinrich Lambert
生没年:1728年8月26日~1777年9月25日
生まれ:フランス、アルザス、ミュールハウゼン
父:不明
母:不明
主な著書:『新オルガノン』

2012年6月15日金曜日

ジャン・エティエンヌ・モンテュクラ

ジャン・エティエンヌ・モンテュクラ(1725年~1799年)

ジャン・エティエンヌ・モンテュクラはフランスの数学者です。
1758年に『Histoire des mathematiques』(数学史)を著し、フランスにおける近代数学史に多大な貢献を残しました。


★ジャン・エティエンヌ・モンテュクラに関する雑学

古代ギリシアの数学者アルキメデスは、地面に描いた幾何学図形に夢中になっていて敵国の兵士に従わず、そのことが原因で命を絶たれてしまいました。
フェルマーの最終定理についての研究で知られるフランスの女性数学者ソフィ・ジェルマンは、モンテュクラの『数学史』に記されていたこのアルキメデスの最期に感激し、数学を学ぶ決意をしたといわれています。


★ジャン・エティエンヌ・モンテュクラに関する備考

Jean Etienne Montucla
生没年:1725年9月5日~1799年12月18日
生まれ:フランス、リヨン
父:不明
母:不明
主な著書:1758年『Histoire des mathematiques』(数学史)

2012年6月12日火曜日

マリア・ガエターナ・アニェージ

マリア・ガエターナ・アニェージ(1718年~1799年)

マリア・ガエターナ・アニェージは、イタリアの数学者です。
マリアはボローニャ大学の教授となりましたが、女性としては当時史上2人目の大学教授となりました。


■アニェージの曲線

y = a^3/(x^2 + a^2) または (x^2 + a^2)y - a^3 = 0
によって表される曲線のことをアニェージの曲線の曲線といいます。アニェージがこの曲線を研究したことから、アニェージの名が付けられました。


★マリア・ガエターナ・アニェージに関する雑学

アニェージは史上2人目の女性大学教授として知られていますが、1人目はイタリアの物理学者ラウラ・バッシ、3人目はロシアの数学者ソフィア・ヴァシーリエヴナ・コワレフスカヤとなります。


★マリア・ガエターナ・アニェージに関する備考

Maria Gaetana Agnesi
生没年:1718年5月16日~1799年1月9日
生まれ:イタリア・ミラノ
父:ピエトロ
母:
妹:マリア・テレーザ・アニェージ(音楽家)
主な著書:1748年『Instituzioni analitiche ad uso della gioventu italiana』

2012年6月8日金曜日

ジャン・ル・ロン・ダランベール

ジャン・ル・ロン・ダランベール(1717年~1783年)

ジャン・ル・ロン・ダランベールは、フランスの数学者・物理学者・哲学者です。
『百科全書』という百科事典の編集で知られています。


■『百科全書』

ダランベールはフランスの思想家であるドゥニ・ディドロと共に、百科事典である『百科全書』の責任編集者として活動しました。『百科全書』において、ダランベールは『序論』も執筆しています。
執筆者の人数は184人におよび、モンテスキュー、ルソー、ヴォルテール等の著名人も含まれています。『百科全書』の執筆陣は、「百科全書派」とも呼ばれています。


★ジャン・ル・ロン・ダランベールに関する雑学

ダランベールの母親は生まれたばかりのダランベールを、パリのサン・ジャン・ルロン教会の前の石段の上に置き去りにしました。ダランベールの名前は、この協会にちなんで付けられたことが知られています。


★ジャン・ル・ロン・ダランベールに関する備考

Jean Le Rond d'Alembert
生没年:1717年11月16~1783年10月29日
生まれ:フランス
父:ルイ=カミュ・デトゥシュ
母:クローディーヌ・アレクサンドリーヌ・ド・タンサン
主な著書:1743年『動力学論』、1751年『百科全書』

2012年6月5日火曜日

レオンハルト・オイラー

レオンハルト・オイラー(1707年~1783年)

レオンハルト・オイラーはスイスの数学者です。
オイラーの父はヤコブ・ベルヌーイから数学を学び、オイラー自身は父から数学を学び、その後ヤコブの弟であるヨハン・ベルヌーイから数学を学ぶようになりました。またヨハンの息子のニコラス、ダニエルも数学者となりますが、彼らとも親交を持つようになります。


■ケーニヒスベルクの橋の問題

18世紀の初等、プロイセンの首都・ケーニヒスベルクという町の中央に、プレーゲル川という川が流れていました。その川には7つの橋が架けられていたのですが、
「同じ橋を2度通らずに、7つの橋を全て通ることはできるか」(ただしどこから出発してもよいとする)
という疑問が提起されました。
この問題についてオイラーは「同じ橋を2度通らずに、全ての橋を通ることはできない」ことを証明しました。


★レオンハルト・オイラーに関する雑学

スイスで1979年11月5日に発行された第6次紙幣の10フラン紙幣には、表にオイラーの肖像画、裏に発電用水車、太陽系等、オイラーの研究をモチーフにした絵柄が描かれています。


★レオンハルト・オイラーに関する備考

Leonhard Euler
生没年:1707年4月15日~1783年9月18日
生まれ:スイス・バーゼル
父:パウル・オイラー(牧師)
母:マルガレータ・ブルッカー

2012年6月2日土曜日

ダニエル・ベルヌーイ

ダニエル・ベルヌーイ(1700年~1782年)

ダニエル・ベルヌーイはスイスの数学者・物理学者です。
ベルヌーイ家は多くの学者を輩出しましたが、同じ数学者であるヨハン・ベルヌーイの子がダニエルとなります。また数学者のヤコブ・ベルヌーイは、ダニエルの伯父にあたります。


■サンクトペテルブルクのパラドクス

「コインを最初に表が出るまで投げ続け、初めて表が出たのがn回目だったとした時に2^n円の賞金がもらえるとする。ただしゲームに参加するには、参加料を支払わなければならない」というルールのゲームがあるとします。ここで「このゲームの参加料がいくらまでなら、参加者が利益を得られると期待できるだろうか」という問題があります。

ここで賞金の期待値を計算すると無限大となってしまうため、「参加料が有限の金額ならばいくら支払ってもゲームに参加するべきである」という結論が出てしまいます。しかし現実の直感からするとこれはおかしな結論と感じるため、この問題は「サンクトペテルブルクのパラドクス」と呼ばれています。

ベルヌーイはこのパラドクスについて、「100万円が200万円になる時の満足度(効用)と、1000万円が1100万円になる時の効用は同じではない」より大きい。賞金の期待値ではなく、効用の期待値を考えるべきである」という主張をしました。


★ダニエル・ベルヌーイに関する備考

Daniel Bernoulli
生没年:1700年2月9日~1782年3月17日
生まれ:オランダ・フローニンゲン
父:ヨハン・ベルヌーイ
母:不明
伯父:ヤコブ・ベルヌーイ
主な著書:1738年『水力学』(Hydrodynamica)