2012年2月21日火曜日

ディオファントス

ディオファントス(200年頃~298年頃)

ディオファントスは古代ギリシャの数学者です。エジプトのアレクサンドリアに住んでいたということは分かっていますが、その他の詳細は知られていません。
ディオファントスは整数を解にもつ問題を作るのが得意でした。そのような問題は「ディオファントス問題」と呼ばれています。


■全13巻からなる大著「算術(Arithmetica)」

ディオファントスは著書の「算術」において、既に知られている問題をまとめ、更に自分でも新しい問題を作りました。この算術は翻訳され、16世紀以降のヨーロッパにおいて代数学の発展に大いに貢献することになります。
「算術」は全部で13巻から成っていましたが、残されているのは6つの巻のみで、残りの7つの巻は失われてしまいました。


★ディオファントスに関する雑学

・「算術」へのフェルマーの書き込み

「フェルマーの最終定理」(3以上の自然数nについて、x^n+y^n=z^nとなる0でない自然数x、y、zの組み合わせは存在しない)で知られる数学者ピエール・ド・フェルマーは、ディオファントスの「算術」で多くの数学的知識を学びました。フェルマーが手にした「算術」はクロード=ガスパール・バシェ・ド・メジリアクという人物によるラテン語訳のものでした。フェルマーの「私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」という有名な書き込みは、「算術」の第2巻第8問「平方数を2つの平方数の和に表せ」の欄外の余白に書き込まれたものです。
フェルマーの注釈は全部で48ヶ所にも及び、フェルマーの息子のクレマン・サミュエル・フェルマーはこの書き込みを含めて「P・ド・フェルマーによる所見を含むディオファントスの算術」として出版しました。

・墓碑銘

ディオファントスの生涯は謎に包まれており、生まれた年代もはっきりしていません。
彼の生涯については6世紀にまとめられたギリシャの詩集の中に、墓碑銘に以下のように刻まれていたという記述があります。

「このみ墓にディオファントスの眠りたまう。ああ、偉大なる人よ。
その生涯の六分の一をわらべとして過ごされ、十二分の一の歳月の後にはほぼ一面にひげが生えそろい、その後七分の一にして華燭の典をあげたまう。
結婚の後五年にして、一人息子を授かりぬ。ああ、不幸なる子よ!父の全生涯の半分でこの世を去ろうとは!
父、ディオファントスよ四年のあいだ数の学問にてその悲しみをまぎらわせ、ついに生涯を閉じたまう」

この記述が正しいとすると、ディオファントスは84まで生きたことになります。