2012年2月13日月曜日

エラトステネス

エラトステネス(紀元前275年~紀元前194年)

エラトステネスはリビアのキュレネに生まれました。プトレマイオス3世に呼ばれて、アレキサンドリアのムセイオン(研究機関)の館長になりました。
月のクレーターや小惑星には、エラトステネスの名前がつけられたものもあります。


■地球の大きさ

エラトステネスは地球の全周を最初に測った人物です。彼はシエネのエレファンティン島とアレクサンドリアとでの夏至の正午の太陽の高度を元にして、地球の全周を計算しました。

シエナの町では夏至の日の正午に太陽の光が井戸の底までまっすぐ射し込み、底の水に太陽が映りますが、これは太陽が町の真上にあることを意味しています。
そこでアレクサンドリアで夏至の時に地面に棒を垂直に立て、影が作る角度を調べます。すると太陽が真上から7.2度傾いていることが分かりました。これがシエネとアレクサンドリアの緯度の差から生じるものとして比例式を立て、シエネとアレクサンドリアとの距離が地球の大円の1/50であることを導いたのです。
また紀元前255年頃には、初の天球儀を作成しています。


■エラトステネスの世界地図

エラトステネスは地球が球形であることを前提に地図を作りました。
この地図では経緯線に当たる線が引かれていて、アレクサンドリアとシエネは同じ線の上にあります。ただしこの直線は地図上の主要な地点を通る目安の線となっており、間隔は一定ではありませんでした。地図上に等間隔に線を引く経緯線を導入したのは、ヒッパルコスとなっています。
エラトステネスの地図は残されていないのですが、ギリシアの地理学者ストラボンが著作「地理誌」に一部を引用しており、部分的に地図の様子が分かっています。


■エラトステネスのふるい

エラトステネスは、指定された整数以下の全ての素数を発見する方法も考案しました。数の表を用い、合成数を次々に消去していき素数だけを残す方法ですが、数をふるいにかけるようなイメージを持つため「エラトステネスのふるい」と呼ばれています。


★エラトステネスに関する雑学

月の雨の海の南東にあるクレーターには、エラトステネスにちなんで名づけられたものがあります。このクレーターは、約32億年前に形成されたことが分かっています。
またパロマー天文台のトム・ゲーレルスとライデン天文台のファン・ハウテン夫妻が発見した小惑星も、エラトステネスの名がつけられました。