2012年3月24日土曜日

フランソワ・ヴィエト

フランソワ・ヴィエト(1540年~1603年)

フランソワ・ヴィエトはフランスの数学者です。方程式の記述において「係数」という言葉を初めて使用したことや、解と係数の発見で知られています。


■文字の使用

方程式ax^2+bx+c=0においてa、b、cを「係数」と呼びますが、この言葉を初めて用いたのがヴィエトです。
また著書「解析論入門」において、既知の量は子音b、c、d、未知の量は母音a、e、i、o、u等を用いて表しています。
ディオファントスの「算術」において未知数やそのべき乗は頭文字で表されていましたが、既知の定数までをも一つの文字で表したのはヴィエトが初めてでした。
ただしギリシア時代から1次は線分、2次は面積、3次は体積として互いに異質なものとして考えられ、厳しく区別されていました。そのため同じ次数のものだけが互いに比較されるべきであるという考えがあり、この考え方からはヴィエトも脱却できませんでした。


★フランソワ・ヴィエトに関する雑学

・アドリアーン・ファン・ローメンの挑戦

ベルギーの数学者アドリアーン・ファン・ローメンが「数学の概念」という本を著し、その中に次のような45次の方程式を載せました。

x^45 - 45×^43 + 945×^41 - 12300×^39 + 111150×^37 - 740459×^35 + 3764565×^33 - 14945040×^31 + 469557800×^29 - 117679100×^27 + 236030652×^25 - 378658800×^23 + 483841800×^21 - 488494125×^19 + 384942375×^17 - 232676280×^15 + 105306075×^13 - 34512074×^11 + 7811375×^9 - 1138500×^7 + 95634×^5 - 3795×^3 + 45x = C

ローメンは当時の数学者達に対して「その方程式を解いてみよ」と挑戦し、当時のフランスの王アンリ四世はネーデルランド大使に「この問題を解ける数学者はフランスにはいないだろう」と挑発されます。
そこでアンリ四世はヴィエトに助けを求めるのですが、ヴィエトは数分で正の解を見つけたという逸話があります。ヴィエトはその問題は三角法の利用が有効であると見抜き、更にはその方程式には23個の正の解と22個の負の解があることも示した、といわれています。