ルドヴィコ・フェラーリ(1522年~1565年)
ルドヴィコ・フェラーリはイタリアの数学者で、4次方程式の解法の発見で知られています。
彼は14歳の時に数学者ジェローラモ・カルダーノの家に召使として働き始めましたが、その才能を認められカルダーノから数学の教えを受け、研究の手伝いをするようになりました。
■4次方程式の解法
カルダーノは同じイタリアの数学者ニコロ・タルターリアから、ある特定の形をした3次方程式の解法を教わりました。この解法はまだ世間一般には公表されておらず、カルダーノは「解法を公表しない」との誓いの元でタルターリアから教わったものです。
解法を得たカルダーノは弟子のフェラーリと共に一般的な3次方程式の解法等の研究に取り組みます。
この研究の過程で、フェラーリは4次方程式の解法を発見しました。
これは4次方程式を3次方程式に帰着させるという手法だったのですが、この手法は一般的な4次方程式にも使える方法だったのです。
後にカルダーノは「アルス・マグナ」という数学書を出版しますが、この本の中でフェラーリの4次方程式の解法についても記しています。
■タルターリアとの論争
「解法を公表しない」との誓いを破られたタルターリアは激怒し、カルダーノのことを非難するようになります。
ここでカルダーノの弟子であるフェラーリは「自分もその場にいたがそのような誓いは立てていない」と主張しているのですが、真相は定かではありません。タルターリアはカルダーノとの論争を望んでいたのですがカルダーノはタルターリアの誘いには乗らず、以降タルターリアとフェラーリの論争が続いていくことになります。
最後はタルターリアとフェラーリが公開討論を行うことになり互いに31問ずつの問題を出し合うことになったのですが、この討論試合の詳細は明らかになっていません。フェラーリの勝利に終わったという説が有力です。
この討論試合の後フェラーリの名声は高まり、各方面から仕事の依頼が来るようになります。
皇帝の息子の家庭教師の依頼もあったのですが、フェラーリは割りのいい税務査定官の仕事に就きました。