2012年3月9日金曜日

ニコロ・タルターリア

ニコロ・タルターリア(1499年~1557年)

ニコロ・タルターリアは、ブレシア生まれのイタリアの数学者です。「タルターリア」とは通称で、本名は「フォンタナ」といいます。彼は独学で数学を学び、後に数学教師となりました。
アルターリアは数学を用いて初めて大砲の弾道の計算を行ったことで有名です。タルターリアの研究は、後にガリレオ・ガリレイが実験により検証しています。


■三次方程式の解法

タルターリアは、ブレシアのツアンネ・デ・トニーニ・ダ・コイからの挑戦で、3次方程式x^3+3x^2=5を解くことに成功しました。

彼が3次方程式を解いたという噂は、ダル・フェロの弟子アントニオ・マリア・フィオルの元にまで届きます。フィオルはダル・フェロよりax^3+bx = cという形の3次方程式の解法を受け継いでいたのですが、タルターリアが3次方程式を解いたという話は信用しませんでした。
そこでフィオルは公開の場での数学試合においてタルターリアに勝つことができれば自分の名声も上がると踏んで、タルターリアに挑戦状を出しました。

試合では互いに30問を出題しあったのですが、フィオルのものは全てがax^3+bx = cの形に基づくもので、タルターリアの出題は様々なタイプのものがあったため、試合はタルターリアの圧勝で終わります。


■カルダーノとの騒動

フィオルとの数学試合の結果は、イタリア中で話題になりました。タルターリアの名声は一気に高まったのですが、この解法をすぐに発表するべきだとのダ・コイの助言をタルターリアはこれを断ります。彼はこの解法を題材にした本を書くつもりだと説明したそうです。

タルターリアの噂は医者であり数学者でもあるジェローラも・カルダーノの元へも届きます。
カルダーノは数学書を執筆しており、3次方程式の解法にも興味を持っていました。
そこでカルダーノは再三にわたりタルターリアに3次方程式の解法について教えを請うのですが、タルターリアはこれを断り続けます。

しかしある時ミラノの有力者への紹介されたことをきっかけにして、ついにカルダーノに解法を明かすことになります。

この際「解法は誰にも公表しない」という誓いをカルダーノに立てさせたといわれていますが、カルダーノの弟子ルドヴィコ・フェラーリの言によると、そのような誓いは立てていないといわれています。

この後カルダーノは、弟子のルドヴィコ・フェラーリと共にタルターリアの解法やその他の一般的な3次方程式、更には4次方程式の解法についての研究を始めます。
その中でダル・フェロという人物がタルターリアよりも前に同じ解法を導いていたことを知ります。ここまでの研究を元にカルダーノは「アルス・マグナ」という就学書を出版するのですが、この書に三次方程式の解法を載せてしまいます。
これを知ったタルターリアは激怒し、以後長年に渡り公の場でカルダーノを侮辱することになります。

タルターリアはカルダーノに公開討論を申し込みますがカルダーノに受け入れられず、弟子のフェラーリと討論試合をすることになるのですが、結局タルターリアは負けてしまいます。

この後3次方程式の解法は、「カルダーノ公式」として世に残っていくことになります。