2012年8月8日水曜日

マリー=ソフィー・ジェルマン

マリー=ソフィー・ジェルマン(1776年4月1日~1831年6月27日)

マリー=ソフィー・ジェルマンは、フランスの女性数学者です。フェルマーの最終定理の研究で知られています。


■ル・ブラン

パリの高等理工科学校エコール・ポリテクニクでは、男性しか入学を許されていませんでしたが、ジェルマンはアントワーズ・オーギュスト・ル・ブランという男性の名前を借りて入学します。
この学校ではイタリアの数学者ジョゼフ=ルイ・ラグランジュも講座を担当していましたが、ある時ラグランジュはジェルマンの優秀な解答に目を留めます。このことがきっかけでジェルマンが女性であったことが知られてしまいますが、ラグランジュはジェルマンが女性であることに驚きながらも彼女の勉学の手助けをしたといわれています。

この後ジェルマンは未解決の問題であったフェルマーの最終定理の研究をし、ドイツの数学者ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウスと文通を始めます。このガウスとの文通でも、ジェルマンはル・ブランの名前を使っていました。
1806年にナポレオンがドイツに攻め込むと、ガウスの安全を心配したジェルマンはフランス軍の将軍にガウスの安全を保証してくれるようにたのみます。この時にジェルマンの正体がガウスに知られることになります。


■ソフィー・ジェルマン素数

2p + 1 が素数となるような素数p のことを、ソフィー・ジェルマン素数と呼びます。2p + 1 については安全素数と呼びます。
最も小さいソフィー・ジェルマン素数はは 2 であり、ソフィー・ジェルマン素数が無数に存在するかどうか分かっていません。


■ソフィー・ジェルマンの定理

「ソフィー・ジェルマン素数(2p + 1 が素数であるような素数 p)について、x^p + y^p = z^p が成り立つとき、x、y、z のいずれかが p で割り切らねばならない」
この定理をソフィー・ジェルマンの定理と呼びます。


★マリー=ソフィー・ジェルマンに関する雑学

古代ギリシアの数学者アルキメデスは、地面に描いた幾何学図形に夢中になっていて敵国の兵士に従わず、そのことが原因で命を絶たれてしまいました。
フランスの数学者ジャン・エティエンヌ・モンテュクラは著書の『数学史』においてこのアルキメデスの逸話を紹介しましたが、これを読んだジェルマンはアルキメデスの最期に感激し、数学を学ぶ決意をしたといわれています。


★マリー=ソフィー・ジェルマンに関する備考

Marie Sophie Germain
生没年:1776年4月1日~1831年6月27日
生まれ:フランス、パリ
父:アンブロワーズ・フランソワ・ジェルマン
母:不明