ラザール・ニコラ・マルグリット・カルノー(1753年~1823年)
ラザール・ニコラ・マルグリット・カルノーはフランスの政治家、数学者です。王立工兵士官学校において、同じフランスの数学者ガスパール・モンジュに数学の教えを受けました。
カルノーは数学者としてよりも政治家として有名で、フランス革命期には大きな政治的功績を上げたことで知られています。またカルノーの子孫は、色々な分野で業績を残しています。
■カルノーの定理
三角形ABCの外接円の中心をO、外接円の半径をR、内接円の半径をr、Dから辺BC、CA、ABの下ろした垂線の足をそれぞれD、E、Fとしたとき、
|OD| + |OE| + |OF| = R + r
が成り立ちます。
これをカルノーの定理と呼びます。
★ラザール・ニコラ・マルグリット・カルノーに関する雑学
・エッフェル塔
エッフェル塔には、フランスの科学に貢献した72人の科学者の名前が刻まれていますが、その中にはカルノーの名も含まれています。
★ラザール・ニコラ・マルグリット・カルノーに関する備考
Lazare Nicolas Marguerite Carnot
生没年:1753年5月13日~1823年8月2日
生まれ:フランス、ブルゴーニュ地方、ノレー
父:不明
母:不明
妻:ソフィー
長男:ニコラ・レオナール・サディ・カルノー(物理学者)
次男の子:ラザール・イポリット・カルノー(政治家)
孫:マリー・アドルフ・カルノー(化学者)
主な著書:『無限小算法についての形而上学的考察』、『位置の幾何学について』
2012年7月13日金曜日
2012年7月11日水曜日
アドリアン=マリ・ルジャンドル
アドリアン=マリ・ルジャンドル(1752年~1833年)
アドリアン=マリ・ルジャンドルはフランスの数学者です。
■フェルマーの最終定理
「フェルマーの最終定理」(3以上の自然数nについて、x^n+y^n=z^nとなる0でない自然数x、y、zの組み合わせは存在しない)について、n=4 の場合はピエール・ド・フェルマー自身が1640年に証明をし、n=3 の場合はスイスの数学者レオンハルト・オイラーが1770年に証明を公表していました。
ルジャンドルは1825年にフェルマーの最終定理の n = 5 の場合の証明を与えました。
ドイツの数学者ヨハン・ペーター・グスタフ・ルジューヌ・ディリクレも1828年にほぼ同じ証明を、ルジャンドルとは独立に行なっています。
■ルジャンドルの記号
a と p が互いに素であるとき、合同式
x^2 ≡ a (mod p)
が解を持つとき、 a は p を法として平方剰余でいい、
解を持たないときは平方非剰余であるといいます。
ここで
pの倍数でない x が p を法として、平方剰余ならば (x/p) = 1
x が p の倍数ならば (x/p) = 0
pの倍数でない x が p を法として、平方非剰余ならば (x/p) = -1
このように定義される (x/p) を、ルジャンドルの記号といいます。
★アドリアン=マリ・ルジャンドルに関する雑学
・エッフェル塔
エッフェル塔には、フランスの科学に貢献した72人の科学者の名前が刻まれていますが、その中にはルジャンドルの名も含まれています。
★アドリアン=マリ・ルジャンドルに関する備考
Adrien-Marie Legendre
生没年:1752年9月18日~1833年1月10日
生まれ:フランス、パリ
父:不明
母:不明
アドリアン=マリ・ルジャンドルはフランスの数学者です。
■フェルマーの最終定理
「フェルマーの最終定理」(3以上の自然数nについて、x^n+y^n=z^nとなる0でない自然数x、y、zの組み合わせは存在しない)について、n=4 の場合はピエール・ド・フェルマー自身が1640年に証明をし、n=3 の場合はスイスの数学者レオンハルト・オイラーが1770年に証明を公表していました。
ルジャンドルは1825年にフェルマーの最終定理の n = 5 の場合の証明を与えました。
ドイツの数学者ヨハン・ペーター・グスタフ・ルジューヌ・ディリクレも1828年にほぼ同じ証明を、ルジャンドルとは独立に行なっています。
■ルジャンドルの記号
a と p が互いに素であるとき、合同式
x^2 ≡ a (mod p)
が解を持つとき、 a は p を法として平方剰余でいい、
解を持たないときは平方非剰余であるといいます。
ここで
pの倍数でない x が p を法として、平方剰余ならば (x/p) = 1
x が p の倍数ならば (x/p) = 0
pの倍数でない x が p を法として、平方非剰余ならば (x/p) = -1
このように定義される (x/p) を、ルジャンドルの記号といいます。
★アドリアン=マリ・ルジャンドルに関する雑学
・エッフェル塔
エッフェル塔には、フランスの科学に貢献した72人の科学者の名前が刻まれていますが、その中にはルジャンドルの名も含まれています。
★アドリアン=マリ・ルジャンドルに関する備考
Adrien-Marie Legendre
生没年:1752年9月18日~1833年1月10日
生まれ:フランス、パリ
父:不明
母:不明
2012年7月8日日曜日
ピエール=シモン・ラプラス
ピエール=シモン・ラプラス(1749年~1827年)
ピエール=シモン・ラプラスはフランスの数学者です。ラプラス変換の発見者として知られています。
■決定論
ラプラスは著書の『確率論の解析理論』において、「ある瞬間の全ての物質の状態が分かれば、その後に起こる全ての現象は事前に計算できる」との考えを述べました。
★ピエール=シモン・ラプラスに関する雑学
・ナポレオンとの会話
当時のフランス皇帝ナポレオンは献上されたラプラスの著書『天体力学概論』について、「神について書かれていないではないか」と問いました。それに対しラプラスは「陛下、私には神という仮説は必要ないのです」と答えたという逸話があります。
・エッフェル塔
エッフェル塔には、フランスの科学に貢献した72人の科学者の名前が刻まれていますが、その中にはラプラスの名も含まれています。
★ピエール=シモン・ラプラスに関する備考
Pierre-Simon Laplace
生没年:1749年3月23日~1827年3月5日
生まれ:フランス、フランス、ノルマンディ、ボーモン・タン・オージュ
父:不明
母:不明
主な著書:『天体力学概論』、『確率論の解析理論』
ピエール=シモン・ラプラスはフランスの数学者です。ラプラス変換の発見者として知られています。
■決定論
ラプラスは著書の『確率論の解析理論』において、「ある瞬間の全ての物質の状態が分かれば、その後に起こる全ての現象は事前に計算できる」との考えを述べました。
★ピエール=シモン・ラプラスに関する雑学
・ナポレオンとの会話
当時のフランス皇帝ナポレオンは献上されたラプラスの著書『天体力学概論』について、「神について書かれていないではないか」と問いました。それに対しラプラスは「陛下、私には神という仮説は必要ないのです」と答えたという逸話があります。
・エッフェル塔
エッフェル塔には、フランスの科学に貢献した72人の科学者の名前が刻まれていますが、その中にはラプラスの名も含まれています。
★ピエール=シモン・ラプラスに関する備考
Pierre-Simon Laplace
生没年:1749年3月23日~1827年3月5日
生まれ:フランス、フランス、ノルマンディ、ボーモン・タン・オージュ
父:不明
母:不明
主な著書:『天体力学概論』、『確率論の解析理論』
2012年7月5日木曜日
ジャン=バティスト・ジョゼフ・ドランブル
ジャン=バティスト・ジョゼフ・ドランブル(1749年~1822年)
ジャン=バティスト・ジョゼフ・ドランブルは、フランスの数学者、天文学者です。
■ドランブルの公式
球面三角法の公式として、以下のドランブルの公式があります。
cos{(A+B)/2}cos(c/2) = cos{(a+b)/2}sin(C/2)
sin{(A+B)/2}cos(c/2) = cos{(a-b)/2}cos(C/2)
cos{(A-B)/2}sin(c/2) = sin{(a+b)/2}sin(C/2)
sin{(A-B)/2}sin(c/2) = sin{(a-b)/2}cos(C/2)
★ジャン=バティスト・ジョゼフ・ドランブルに関する備考
Jean-Baptiste Joseph Delambre
生没年:1749年9月19日~1822年8月19日
生まれ:フランス、アミアン
父:不明
母:不明
主な著書:『天文学史』(Histoire de l'astronomie)
ジャン=バティスト・ジョゼフ・ドランブルは、フランスの数学者、天文学者です。
■ドランブルの公式
球面三角法の公式として、以下のドランブルの公式があります。
cos{(A+B)/2}cos(c/2) = cos{(a+b)/2}sin(C/2)
sin{(A+B)/2}cos(c/2) = cos{(a-b)/2}cos(C/2)
cos{(A-B)/2}sin(c/2) = sin{(a+b)/2}sin(C/2)
sin{(A-B)/2}sin(c/2) = sin{(a-b)/2}cos(C/2)
★ジャン=バティスト・ジョゼフ・ドランブルに関する備考
Jean-Baptiste Joseph Delambre
生没年:1749年9月19日~1822年8月19日
生まれ:フランス、アミアン
父:不明
母:不明
主な著書:『天文学史』(Histoire de l'astronomie)
2012年7月2日月曜日
ジョン・プレイフェア
ジョン・プレイフェア(1748年~1819年)
ジョン・プレイフェアはスコットランドの数学者です。ユークリッドの第5公準を、扱いやすい形に書き換えたことで知られています。
■ユークリッドの第5公準
古代ギリシャの数学者ユークリッドは、著書『原論』において、幾何学に関する公理と公準をいくつか示しましたが、その中の第5公準と呼ばれる以下のものがありました。
公準5
一本の直線が他の二直線と交わり、同じ側にある内角の和が二直角より小さい場合は、これらの二直線を限りなく延長すれば内角の和が二直角よりも小さい側で交わる
この第5公準は他のものと比べて長く分かりにくくなっており、公理や他の4つの公準を用いて証明できるのではないかといった見方もなされていたのです。
ここでプレイフェアは、1795年の著書『Elments of geometry』において、この第5公準を
「直線以外の一点を通り、その直線と平行な直線は一本しか引けない」
と、より扱いやすい形に書き改めました。
第5公準をこの形にしたものは「平行線公準」、「プレイフェアの公理」とも呼ばれています。
★ジョン・プレイフェアに関する備考
John Playfair
生没年:1748年3月10日~1819年7月20日
生まれ:スコットランド、ベンヴィ
父:不明
母:不明
主な著書:1795年『Elments of geometry』
ジョン・プレイフェアはスコットランドの数学者です。ユークリッドの第5公準を、扱いやすい形に書き換えたことで知られています。
■ユークリッドの第5公準
古代ギリシャの数学者ユークリッドは、著書『原論』において、幾何学に関する公理と公準をいくつか示しましたが、その中の第5公準と呼ばれる以下のものがありました。
公準5
一本の直線が他の二直線と交わり、同じ側にある内角の和が二直角より小さい場合は、これらの二直線を限りなく延長すれば内角の和が二直角よりも小さい側で交わる
この第5公準は他のものと比べて長く分かりにくくなっており、公理や他の4つの公準を用いて証明できるのではないかといった見方もなされていたのです。
ここでプレイフェアは、1795年の著書『Elments of geometry』において、この第5公準を
「直線以外の一点を通り、その直線と平行な直線は一本しか引けない」
と、より扱いやすい形に書き改めました。
第5公準をこの形にしたものは「平行線公準」、「プレイフェアの公理」とも呼ばれています。
★ジョン・プレイフェアに関する備考
John Playfair
生没年:1748年3月10日~1819年7月20日
生まれ:スコットランド、ベンヴィ
父:不明
母:不明
主な著書:1795年『Elments of geometry』