2012年3月30日金曜日

ジョン・ネイピア

ジョン・ネイピア(1550年~1617年)

ジョン・ネイピアはスコットランドの数学者、物理学者、天文学者、占星術師です。
対数の発見で知られています。


■対数の発見

16世紀の天文学者達は、星の位置を計測するために何十桁もある数値の計算を行っていました。また当時の船乗り達は星の位置を元に船の現在地や進行方向を計算していたのですが、桁数が非常に多い数値を計算しないといけないため間違いやすく、航海の安全に悪影響をもたらす原因の一つとなっていました。

これらの事情を知ったネイピアは、桁数の多い掛け算を足し算に置き換える方法として対数を考え出したのです。ネイピアは20年という長い歳月をかけて対数の表を作成し、1614年に7桁の数の対数表を発表しました。
しかしネイピアの対数は複雑だったため、当初は理解されませんでした。そこへイングランドの数学者ヘンリー・ブリッグスがネイピアの元を訪れます。二人は対数に関する議論を重ね改良していき、ブリッグスは10を底とすることを提案し、これが常用対数となります。
ブリッグスは常用対数の表を作成することをネイピアと約束し、表を完成させますが、その時にはネイピアは既に亡くなっていました。

この対数の発明により計算が簡易になり精度も高くなったため、大航海時代の長い航海をより安全に行えるようになりました。更に後の時代のフランスの数学者ピエール=シモン・ラプラスからは、「対数は天文学者の寿命を2倍にした」と讃えられました。


★ジョン・ネイピアに関する雑学

対数の概念は、ネイピアよりも前にイタリアの数学者ミハイル・シュティーフェルが著書「完全算術」の中で記述していました。ただしシュティーフェルは対数について研究を進めることはなかったので、対数の発見者はネイピアであるとされるようになりました。
ネイピアはシュティーフェルが考えた対数の概念については知らなかったとされていて、二人は全く独立して対数を発見したといわれています。

2012年3月27日火曜日

シモン・ステヴィン

シモン・ステヴィン(1548年~1620年)

シモン・ステヴィンはヨーロッパの旧フランドル地方、ブルッヘ(ベルギーのブルージュ)で生まれた数学者、物理学者、会計学者です。十進小数の導入で知られています。


■十進小数

小数自体はバビロニア数学の時代から存在していましたが、小数点を表すものがなかったため、前後の文脈から数値を判断しなくてはいけないという不便なものでした。
ステヴィンは1585年に出版した「十進分数論」において小数を発表し、ヨーロッパに小数を導入しました。ただし表記法は現在用いられているものとは異なり、「0.678」は「6①7②8③」と表しています。
後にジョン・ネイピアによって、小数点による表記法が提唱されました。


■力の平行四辺形の法則

平行四辺形を用いて力の合成と分解を最初に考えたのはステヴィンでした。彼は1586年に表した書籍の中で、力の平行四辺形について述べています。


★シモン・ステヴィンに関する雑学

ベルギーのブルージュには「シモン・ステヴィン広場」という場所があり、シモン・ステヴィンの像があります。


★人物・家族・経歴等

Simon Stevin
生没年:1548年~1620年
生地:フランドル(現ベルギー)、ブルッヘ
没地:オランダ、ハーグ
父:アンソニー・ステヴィン
妻:キャサリン・クライ
子:ヘンドリック、 スサンナ、レヴィナ、フレデリック
主な著書:
1585年『十進法』
1586年『吊り合いの原理』、『水の重さの原理』


(2012年3月27日投稿)
(2018年12月5日追記)

2012年3月24日土曜日

フランソワ・ヴィエト

フランソワ・ヴィエト(1540年~1603年)

フランソワ・ヴィエトはフランスの数学者です。方程式の記述において「係数」という言葉を初めて使用したことや、解と係数の発見で知られています。


■文字の使用

方程式ax^2+bx+c=0においてa、b、cを「係数」と呼びますが、この言葉を初めて用いたのがヴィエトです。
また著書「解析論入門」において、既知の量は子音b、c、d、未知の量は母音a、e、i、o、u等を用いて表しています。
ディオファントスの「算術」において未知数やそのべき乗は頭文字で表されていましたが、既知の定数までをも一つの文字で表したのはヴィエトが初めてでした。
ただしギリシア時代から1次は線分、2次は面積、3次は体積として互いに異質なものとして考えられ、厳しく区別されていました。そのため同じ次数のものだけが互いに比較されるべきであるという考えがあり、この考え方からはヴィエトも脱却できませんでした。


★フランソワ・ヴィエトに関する雑学

・アドリアーン・ファン・ローメンの挑戦

ベルギーの数学者アドリアーン・ファン・ローメンが「数学の概念」という本を著し、その中に次のような45次の方程式を載せました。

x^45 - 45×^43 + 945×^41 - 12300×^39 + 111150×^37 - 740459×^35 + 3764565×^33 - 14945040×^31 + 469557800×^29 - 117679100×^27 + 236030652×^25 - 378658800×^23 + 483841800×^21 - 488494125×^19 + 384942375×^17 - 232676280×^15 + 105306075×^13 - 34512074×^11 + 7811375×^9 - 1138500×^7 + 95634×^5 - 3795×^3 + 45x = C

ローメンは当時の数学者達に対して「その方程式を解いてみよ」と挑戦し、当時のフランスの王アンリ四世はネーデルランド大使に「この問題を解ける数学者はフランスにはいないだろう」と挑発されます。
そこでアンリ四世はヴィエトに助けを求めるのですが、ヴィエトは数分で正の解を見つけたという逸話があります。ヴィエトはその問題は三角法の利用が有効であると見抜き、更にはその方程式には23個の正の解と22個の負の解があることも示した、といわれています。

2012年3月21日水曜日

クリストファー・クラヴィウス

クリストファー・クラヴィウス(1538年~1612年)

クリストファー・クラヴィウスはドイツのバンベルクに生まれた数学者・天文学者です。
グレゴリオ暦作成の中心人物だった他、数学ではユークリッドの「原論」の注解書を著しました。クラヴィウスはローマやポルトガルで学んだ後にローマに戻り、ローマ学院の数学教授となりました。天文学では天動説を支持していましたが、天動説がもつ矛盾点も認識していました。


■グレゴリオ暦

16世紀の後半まではユリウス暦という暦が使われていました。これは紀元前45年にユリウス・カエサルによって制定されたもので、1年を原則365日とし、4年ごとの閏年の2月末に1日を加えて366日とするものでした。このユリウス暦は16世紀には実際の季節と暦のずれが大きくなっており、これに代わるより精密なものとして制定されたのがグレゴリオ暦です。グレゴリオ暦では、400年間に97回の閏年を置くこととしています。クラヴィウスはこのグレゴリオ暦の作成に関わった人物の中の一人です。

2012年3月18日日曜日

ラファエル・ボンベリ

ラファエル・ボンベリ(1526年~1572年)

ラファエル・ボンベリは、イタリアのボローニャ生まれの数学者です。虚数の研究で知られ、「代数学」という数学書を著しました。


■虚数の研究

3次方程式を解く過程で、解が実数の場合でも途中の段階で負の数の平方根が出てくる場合があります。これは後に「虚数」と呼ばれることになる概念なのですが、カルダーノは著書「アルス・マグナ」で3次方程式の解法を示す際に、この虚数については明確な説明をできないままで終わっていました。当時は0や負の数でさえまだ認められておらず、「負の数の平方根」である虚数は「役に立たないもの」としか認識されていなかったのです。

ボンベリはこの「負の数の平方根」という概念を重要なものであると認識し定義を与え、「虚数」というものの研究が進んでいくきっかけを作ることとなりました。
1637年にはルネ・デカルトが初めて「虚数(imaginary number)」という言葉を用い、1777年にはレオンハルト・オイラーが虚数をiと表しました。


★ラファエル・ボンベリに関する雑学

月のクレーターには、ボンベリにちなんで名づけられたものがあります。