ウマル・ハイヤーム(1048年~1131年)
ウマル・ハイヤームはセルジューク朝期ペルシアの学者・詩人です。
ジャラーリー暦と呼ばれる暦を作成しましたが、これは33年に8回の閏年をおいていて、グレゴリウス暦よりも正確なものでした。彼が著した「ルバイヤート」という四行詩集は、イラン文学史に残る作品とされています。
数学では二項定理の発見や、特殊な形をしたいくつかの3次方程式の解法を幾何学的な手法を用いて示したことで知られています。
■三次方程式の解法
放物線と円の間の交点を用いて、ある特定の形をした三次方程式を解く方法を考案しました。この解法のアプローチは古代ギリシアの数学者・メナイクモスなどによって既に試みられていましたが、ハイヤームはその方法を発展させて一般化したという功績があります。
■ユークリッドを批判
ハイヤームはユークリッドの平行線の理論に対する批判書を著し、これが欧州に伝わりました。このことが後の「非ユークリッド幾何学」の発展に繋がっていくことになります。
★ウマル・ハイヤームに関する雑学
ソビエトの天文学者リュドミーラ・ジュラヴリョーワがクリミア天体物理天文台で発見した小惑星は、ハイヤームにちなんで名づけられました。
2012年2月27日月曜日
2012年2月25日土曜日
アル・フワーリズミ
アル・フワーリズミ(780年頃~850年頃)
アル・フワーリズミはアラビアの数学者、天文学者です。
アル・フワーリズミの名は「アルゴリズム」の語源となり、またその著書は「代数学(アルジェブラ)」の語源となりました。
■「アル・ジェブル・アル・ムカバラ」
アル・フワーリズミは「アル・ジェブル・アル・ムカバラ」という本を出版しましたが、これは「移項と同類項の整理」という意味です。
この本を書く際にギリシャ人の知識だけでなく、インド人の知識も取り入れました。インド人は「ゼロ」の概念を発見していて、どんなに大きな数でも0から9までの数字だけで書き表せるようになりました。これは記数法における大きな革命でした。このように、アル・フワーリズミは自著を通してインド人の記数法をヨーロッパに広めたのです。
★アル・フワーリズミに関する雑学
・代数学(アルジェブラ)の語源
「代数学(アルジェブル)」は、アル・フワーリズミの著書「al-jabr waal-muqabalah(アル・ジェブル・アル・ムカバラ)」に由来しています。「アル・ジェブル・アル・ムカバラ」はラテン語に翻訳されヨーロッパで広く読まれましたが、この時に「al-jabr(アル・ジェブル)」だけが残り、「代数学(アルジェブラ)」の語源となったのです。
また課題を解決するための計算手順や処理手順のことを「アルゴリズム」といいますが、これはアル・フワーリズミの名に由来しています。「アル・ジェブル・アル・ムカバラ」が翻訳された際にアル・フワーリズミの名も「アルゴリズム」と変えられ、アルゴリズムの語源となりました。
・algebrista(接骨医)
「algebrista」はスペイン語で代数学者の他に接骨医という意味もあります。
「al-jabr」は「復元」という意味を持ちますが、接骨医がバラバラになったものを復元するイメージに通じています。
アル・フワーリズミはアラビアの数学者、天文学者です。
アル・フワーリズミの名は「アルゴリズム」の語源となり、またその著書は「代数学(アルジェブラ)」の語源となりました。
■「アル・ジェブル・アル・ムカバラ」
アル・フワーリズミは「アル・ジェブル・アル・ムカバラ」という本を出版しましたが、これは「移項と同類項の整理」という意味です。
この本を書く際にギリシャ人の知識だけでなく、インド人の知識も取り入れました。インド人は「ゼロ」の概念を発見していて、どんなに大きな数でも0から9までの数字だけで書き表せるようになりました。これは記数法における大きな革命でした。このように、アル・フワーリズミは自著を通してインド人の記数法をヨーロッパに広めたのです。
★アル・フワーリズミに関する雑学
・代数学(アルジェブラ)の語源
「代数学(アルジェブル)」は、アル・フワーリズミの著書「al-jabr waal-muqabalah(アル・ジェブル・アル・ムカバラ)」に由来しています。「アル・ジェブル・アル・ムカバラ」はラテン語に翻訳されヨーロッパで広く読まれましたが、この時に「al-jabr(アル・ジェブル)」だけが残り、「代数学(アルジェブラ)」の語源となったのです。
また課題を解決するための計算手順や処理手順のことを「アルゴリズム」といいますが、これはアル・フワーリズミの名に由来しています。「アル・ジェブル・アル・ムカバラ」が翻訳された際にアル・フワーリズミの名も「アルゴリズム」と変えられ、アルゴリズムの語源となりました。
・algebrista(接骨医)
「algebrista」はスペイン語で代数学者の他に接骨医という意味もあります。
「al-jabr」は「復元」という意味を持ちますが、接骨医がバラバラになったものを復元するイメージに通じています。
2012年2月24日金曜日
ブラマグプタ
ブラマグプタ(598年~660年頃)
ブラマグプタはインドの数学者・天文学者です。
現在のインド中央部に位置するウッジャインという町で暮らしていましたが、その他のことはほとんど分かっていません。
■ブラマグプタの公式
円に内接する四角形の4辺の長さをa、b、c、dとするとき、四角形の面積Sは、
S=√{(s-a)(s-b)(s-c)(s-d)} (ただし s=(a+b+c+d)/2 とする)
で求めることができます。
これはヘロンの公式をブラマグプタが一般化させて得た公式で、「ブラマグプタの公式」と呼ばれています。この公式により、円に内接する四角形の4辺の長さを用いてその面積を求めることができます。
ただしブラマグプタは「円に内接する」という条件を明示しなかったため、彼が示したものは不正確なものであるとされています。
■ゼロの概念
ブラマグプタは628年に「ブラーマ・スプタ・シッダーンタ」という書物を著しました。この中で彼はゼロを数として定義し、更にはその演算結果も定義しています。「ゼロとは、ある数から同じ数を引いた答えである」、「ゼロを加えても結果は元のまま。ゼロを掛けると結果はゼロ」等の記述がありました。
ただし「ゼロ除算」についての考えは間違っており、「正または負の数をゼロで割ると、分母がゼロの分数となる。ゼロを正または負の数で割ると、ゼロになるか、またはゼロを分子とし有限数を分母とする分数になる。ゼロをゼロで割るとゼロになる」等と記述していました。
ブラマグプタはインドの数学者・天文学者です。
現在のインド中央部に位置するウッジャインという町で暮らしていましたが、その他のことはほとんど分かっていません。
■ブラマグプタの公式
円に内接する四角形の4辺の長さをa、b、c、dとするとき、四角形の面積Sは、
S=√{(s-a)(s-b)(s-c)(s-d)} (ただし s=(a+b+c+d)/2 とする)
で求めることができます。
これはヘロンの公式をブラマグプタが一般化させて得た公式で、「ブラマグプタの公式」と呼ばれています。この公式により、円に内接する四角形の4辺の長さを用いてその面積を求めることができます。
ただしブラマグプタは「円に内接する」という条件を明示しなかったため、彼が示したものは不正確なものであるとされています。
■ゼロの概念
ブラマグプタは628年に「ブラーマ・スプタ・シッダーンタ」という書物を著しました。この中で彼はゼロを数として定義し、更にはその演算結果も定義しています。「ゼロとは、ある数から同じ数を引いた答えである」、「ゼロを加えても結果は元のまま。ゼロを掛けると結果はゼロ」等の記述がありました。
ただし「ゼロ除算」についての考えは間違っており、「正または負の数をゼロで割ると、分母がゼロの分数となる。ゼロを正または負の数で割ると、ゼロになるか、またはゼロを分子とし有限数を分母とする分数になる。ゼロをゼロで割るとゼロになる」等と記述していました。
2012年2月23日木曜日
アリヤバータ
アリヤバータ(476年~550年頃)
アリヤバータはインドの数学者、天文学者です。彼はディオファントス方程式や円周率の近似値の研究で知られています。
■ディオファントス方程式の研究
一般に整数係数の多変数高次不定方程式を「ディオファントス方程式」といいますが、アリヤバータは著作「アーリヤバティーヤ」において、線型ディオファントス方程式 ay + bx = c の整数解の求め方を記しました。これはディオファントス方程式の解を連分数によって表すもので、「クッタカ法」と呼ばれています。彼はこの技法を応用して、連立線型ディオファントス方程式の整数解も求めました。更に不定線型方程式の一般的解法も発見しています。
ディオファントス方程式についての研究は、アリヤバータの純粋数学における最大の貢献とされています。
■円周率の近似値
著書の「アリヤバーティア」で、円周率の近似値を3.1416としました。どのようにしてこの値を求めたのかはこの本では明らかにされていません。
一般には円に内接する正n角形と正2n角形について、両者の周の長さの間に成り立つ関係式を利用したといわれています。ここから正384角形の周の長さを√9.8684(≒3.14156)とし、この平方根の近似値として3927/1250(=3.1416)を導いたとされています。
■アリヤバータの正弦表
アリヤバータは最も古い正弦表の一つであるアリヤバータの正弦表を作成しました。
★アリヤバータに関する雑学
インド初の人工衛星は、アリヤバータにちなんで命名されました。このアリヤバータの絵は、インドの紙幣の裏面に使用されていたことがあります。
アリヤバータはインドの数学者、天文学者です。彼はディオファントス方程式や円周率の近似値の研究で知られています。
■ディオファントス方程式の研究
一般に整数係数の多変数高次不定方程式を「ディオファントス方程式」といいますが、アリヤバータは著作「アーリヤバティーヤ」において、線型ディオファントス方程式 ay + bx = c の整数解の求め方を記しました。これはディオファントス方程式の解を連分数によって表すもので、「クッタカ法」と呼ばれています。彼はこの技法を応用して、連立線型ディオファントス方程式の整数解も求めました。更に不定線型方程式の一般的解法も発見しています。
ディオファントス方程式についての研究は、アリヤバータの純粋数学における最大の貢献とされています。
■円周率の近似値
著書の「アリヤバーティア」で、円周率の近似値を3.1416としました。どのようにしてこの値を求めたのかはこの本では明らかにされていません。
一般には円に内接する正n角形と正2n角形について、両者の周の長さの間に成り立つ関係式を利用したといわれています。ここから正384角形の周の長さを√9.8684(≒3.14156)とし、この平方根の近似値として3927/1250(=3.1416)を導いたとされています。
■アリヤバータの正弦表
アリヤバータは最も古い正弦表の一つであるアリヤバータの正弦表を作成しました。
★アリヤバータに関する雑学
インド初の人工衛星は、アリヤバータにちなんで命名されました。このアリヤバータの絵は、インドの紙幣の裏面に使用されていたことがあります。
2012年2月21日火曜日
ディオファントス
ディオファントス(200年頃~298年頃)
ディオファントスは古代ギリシャの数学者です。エジプトのアレクサンドリアに住んでいたということは分かっていますが、その他の詳細は知られていません。
ディオファントスは整数を解にもつ問題を作るのが得意でした。そのような問題は「ディオファントス問題」と呼ばれています。
■全13巻からなる大著「算術(Arithmetica)」
ディオファントスは著書の「算術」において、既に知られている問題をまとめ、更に自分でも新しい問題を作りました。この算術は翻訳され、16世紀以降のヨーロッパにおいて代数学の発展に大いに貢献することになります。
「算術」は全部で13巻から成っていましたが、残されているのは6つの巻のみで、残りの7つの巻は失われてしまいました。
★ディオファントスに関する雑学
・「算術」へのフェルマーの書き込み
「フェルマーの最終定理」(3以上の自然数nについて、x^n+y^n=z^nとなる0でない自然数x、y、zの組み合わせは存在しない)で知られる数学者ピエール・ド・フェルマーは、ディオファントスの「算術」で多くの数学的知識を学びました。フェルマーが手にした「算術」はクロード=ガスパール・バシェ・ド・メジリアクという人物によるラテン語訳のものでした。フェルマーの「私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」という有名な書き込みは、「算術」の第2巻第8問「平方数を2つの平方数の和に表せ」の欄外の余白に書き込まれたものです。
フェルマーの注釈は全部で48ヶ所にも及び、フェルマーの息子のクレマン・サミュエル・フェルマーはこの書き込みを含めて「P・ド・フェルマーによる所見を含むディオファントスの算術」として出版しました。
・墓碑銘
ディオファントスの生涯は謎に包まれており、生まれた年代もはっきりしていません。
彼の生涯については6世紀にまとめられたギリシャの詩集の中に、墓碑銘に以下のように刻まれていたという記述があります。
「このみ墓にディオファントスの眠りたまう。ああ、偉大なる人よ。
その生涯の六分の一をわらべとして過ごされ、十二分の一の歳月の後にはほぼ一面にひげが生えそろい、その後七分の一にして華燭の典をあげたまう。
結婚の後五年にして、一人息子を授かりぬ。ああ、不幸なる子よ!父の全生涯の半分でこの世を去ろうとは!
父、ディオファントスよ四年のあいだ数の学問にてその悲しみをまぎらわせ、ついに生涯を閉じたまう」
この記述が正しいとすると、ディオファントスは84まで生きたことになります。
ディオファントスは古代ギリシャの数学者です。エジプトのアレクサンドリアに住んでいたということは分かっていますが、その他の詳細は知られていません。
ディオファントスは整数を解にもつ問題を作るのが得意でした。そのような問題は「ディオファントス問題」と呼ばれています。
■全13巻からなる大著「算術(Arithmetica)」
ディオファントスは著書の「算術」において、既に知られている問題をまとめ、更に自分でも新しい問題を作りました。この算術は翻訳され、16世紀以降のヨーロッパにおいて代数学の発展に大いに貢献することになります。
「算術」は全部で13巻から成っていましたが、残されているのは6つの巻のみで、残りの7つの巻は失われてしまいました。
★ディオファントスに関する雑学
・「算術」へのフェルマーの書き込み
「フェルマーの最終定理」(3以上の自然数nについて、x^n+y^n=z^nとなる0でない自然数x、y、zの組み合わせは存在しない)で知られる数学者ピエール・ド・フェルマーは、ディオファントスの「算術」で多くの数学的知識を学びました。フェルマーが手にした「算術」はクロード=ガスパール・バシェ・ド・メジリアクという人物によるラテン語訳のものでした。フェルマーの「私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」という有名な書き込みは、「算術」の第2巻第8問「平方数を2つの平方数の和に表せ」の欄外の余白に書き込まれたものです。
フェルマーの注釈は全部で48ヶ所にも及び、フェルマーの息子のクレマン・サミュエル・フェルマーはこの書き込みを含めて「P・ド・フェルマーによる所見を含むディオファントスの算術」として出版しました。
・墓碑銘
ディオファントスの生涯は謎に包まれており、生まれた年代もはっきりしていません。
彼の生涯については6世紀にまとめられたギリシャの詩集の中に、墓碑銘に以下のように刻まれていたという記述があります。
「このみ墓にディオファントスの眠りたまう。ああ、偉大なる人よ。
その生涯の六分の一をわらべとして過ごされ、十二分の一の歳月の後にはほぼ一面にひげが生えそろい、その後七分の一にして華燭の典をあげたまう。
結婚の後五年にして、一人息子を授かりぬ。ああ、不幸なる子よ!父の全生涯の半分でこの世を去ろうとは!
父、ディオファントスよ四年のあいだ数の学問にてその悲しみをまぎらわせ、ついに生涯を閉じたまう」
この記述が正しいとすると、ディオファントスは84まで生きたことになります。