ヘルマン・ギュンター・グラスマン(1809年~1877年)
ヘルマン・ギュンター・グラスマンは、ドイツの数学者、物理学者、言語学者です。グラスマン代数で知られています。古代インドの聖典『リグ・ヴェーダ』(Rigveda)の辞典や翻訳においても、偉大な業績を残しています。
■『広延論』
1844年、グラスマンは『広延論』を著しました。しかし内容が先進的すぎたために当時は注目されず、グラスマンの死後にようやく高い評価を受けるようになりました。
またグラスマンは、実数体上のベクトル空間の外積代数を定義しました。この外積代数はグラスマンに因んで、グラスマン代数としても知られています。
★備考
Hermann Gunther Grasmann
生没年:1809年4月15日~1877年9月26日
生まれ:プロイセン王国シュテッティン
父:ユストゥス・ギュンター・グラスマン(シュテッティンギムナジウム教授)
主な著書:1844年『広延論』Ausdehnungslehre
2015年7月28日火曜日
2015年7月12日日曜日
ジョゼフ・リウヴィル
ジョゼフ・リウヴィル(1809年~1882年)
ジョゼフ・リウヴィルは、フランスの物理学者、数学者です。リウヴィルの定理で知られています。
■リウヴィルの定理
リウヴィルの定理には、物理学、解析学、数論の3つの分野に関わるものがあります。
■リウヴィル数
1844年に、リウヴィルは超越数の最初の例を示しました。この数を「リウヴィル数」(Liouville number)といいます。
■ガロアの功績の発見
フランスの数学者エヴァリスト・ガロア(Evariste Galois、1811年10月25日~1832年5月31日)の功績は生前は認められることはありませんでしたが、ガロアの死後に彼の論文の写しが当時の数学者達の一部に送られました。リウヴィルはその写しを入手し価値を見出し、1846年に『純粋・応用数学雑誌』(Journal de mathematique pures et appliquees)にガロアの論文集を掲載しました。このことがきっかけとなって、ガロアの功績が多くの数学者たちに知られることになりました。リウヴィルはガロアが生前認められなかった理由を「簡潔さを求めすぎて分かりにくくなっている」と述べています。
★備考
Joseph Liouville
生没年:1809年3月24日~1882年9月8日
生まれ:パ=ド=カレー県サントメール
エコール・ポリテクニーク教授(フランス、1833年)
ジョゼフ・リウヴィルは、フランスの物理学者、数学者です。リウヴィルの定理で知られています。
■リウヴィルの定理
リウヴィルの定理には、物理学、解析学、数論の3つの分野に関わるものがあります。
■リウヴィル数
1844年に、リウヴィルは超越数の最初の例を示しました。この数を「リウヴィル数」(Liouville number)といいます。
■ガロアの功績の発見
フランスの数学者エヴァリスト・ガロア(Evariste Galois、1811年10月25日~1832年5月31日)の功績は生前は認められることはありませんでしたが、ガロアの死後に彼の論文の写しが当時の数学者達の一部に送られました。リウヴィルはその写しを入手し価値を見出し、1846年に『純粋・応用数学雑誌』(Journal de mathematique pures et appliquees)にガロアの論文集を掲載しました。このことがきっかけとなって、ガロアの功績が多くの数学者たちに知られることになりました。リウヴィルはガロアが生前認められなかった理由を「簡潔さを求めすぎて分かりにくくなっている」と述べています。
★備考
Joseph Liouville
生没年:1809年3月24日~1882年9月8日
生まれ:パ=ド=カレー県サントメール
エコール・ポリテクニーク教授(フランス、1833年)
2015年6月29日月曜日
オーガスタス・ド・モルガン
オーガスタス・ド・モルガン(1806年~1871年)
オーガスタス・ド・モルガンは、イギリスの数学者です。ド・モルガンの法則で知られています。
■ド・モルガンの法則
モルガンは数理論理学、集合論において、論理積、論理和、否定の間に成り立つ関係を示しました。これらの関係は「ド・モルガンの法則」と呼ばれています。
■数学的帰納法
「数学的帰納法」(mathematical induction)という言葉は、1838年にド・モルガンによって命名されました。
★備考
Augustus de Morgan
生没年:1806年6月27日~1871年3月18日
生まれ:インド・マドゥライ
父:ジョン・ド・モルガン、イギリス東インド会社勤務
子:ウィリアム・ド・モルガン(William De Morgan、1839年11月16日~1917年1月15日)、小説家、デザイナー、画家、陶芸家
ユニヴァーシティ・カレッジ教授(ロンドン・1828年)
ロンドン数学会(The London Mathematical Society、略称LMS)初代会長(1865年1月16日)
オーガスタス・ド・モルガンは、イギリスの数学者です。ド・モルガンの法則で知られています。
■ド・モルガンの法則
モルガンは数理論理学、集合論において、論理積、論理和、否定の間に成り立つ関係を示しました。これらの関係は「ド・モルガンの法則」と呼ばれています。
■数学的帰納法
「数学的帰納法」(mathematical induction)という言葉は、1838年にド・モルガンによって命名されました。
★備考
Augustus de Morgan
生没年:1806年6月27日~1871年3月18日
生まれ:インド・マドゥライ
父:ジョン・ド・モルガン、イギリス東インド会社勤務
子:ウィリアム・ド・モルガン(William De Morgan、1839年11月16日~1917年1月15日)、小説家、デザイナー、画家、陶芸家
ユニヴァーシティ・カレッジ教授(ロンドン・1828年)
ロンドン数学会(The London Mathematical Society、略称LMS)初代会長(1865年1月16日)
2015年6月18日木曜日
ウィリアム・ローワン・ハミルトン
ウィリアム・ローワン・ハミルトン(1805年~1865年)
ウィリアム・ローワン・ハミルトンはイギリスの数学者、物理学者です。四元数と呼ばれる高次複素数の発見で知られています。
■四元数の発見
ハミルトンは、複素数を三次以上に一般化しようとしていました。
1843年10月16日の月曜日、ハミルトンがダブリン市内のロイヤル運河沿いを妻とともに歩いていると、四元数の元となる概念が頭の中で閃いたのです。ちょうどブルーム橋のさしかかったところだったので、ハミルトンは四元数の基本公式
i^2 = j^2 = k^2 = ijk = -1
を、ブルーム橋の石に刻みつけました。
ドイツの数学者ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス(1777年~1855年)も1819年にハミルトンに先駆けて四元数を発見していましたが、そのことが公表されたのは1900年になってからのことでした。
★ウィリアム・ローワン・ハミルトンに関する雑学
・ブルーム橋の碑文
初代アイルランド首相・第3代大統領であるエイモン・デ・ヴァレラ(1882年10月14日~1975年8月29日)が、ハミルトンがブルーム橋に四元数の基本公式を刻んだというエピソードを記念して、ブルーム橋に石の碑文を設置しました。
・ウィリアム・ワーズワース
イギリスの代表的なロマン派詩人、ウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth、1770年4月7日~1850年4月23日)はハミルトンと親友でした。
★備考
William Rowan Hamilton
生没年:1805年8月4日~1865年9月2日
生まれ:アイルランド首都・ダブリン
父:法律事務所経営
兄弟:9人兄弟の4番目
主な著書:1853『四元数講義』、『四元数の基礎』
ウィリアム・ローワン・ハミルトンはイギリスの数学者、物理学者です。四元数と呼ばれる高次複素数の発見で知られています。
■四元数の発見
ハミルトンは、複素数を三次以上に一般化しようとしていました。
1843年10月16日の月曜日、ハミルトンがダブリン市内のロイヤル運河沿いを妻とともに歩いていると、四元数の元となる概念が頭の中で閃いたのです。ちょうどブルーム橋のさしかかったところだったので、ハミルトンは四元数の基本公式
i^2 = j^2 = k^2 = ijk = -1
を、ブルーム橋の石に刻みつけました。
ドイツの数学者ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス(1777年~1855年)も1819年にハミルトンに先駆けて四元数を発見していましたが、そのことが公表されたのは1900年になってからのことでした。
★ウィリアム・ローワン・ハミルトンに関する雑学
・ブルーム橋の碑文
初代アイルランド首相・第3代大統領であるエイモン・デ・ヴァレラ(1882年10月14日~1975年8月29日)が、ハミルトンがブルーム橋に四元数の基本公式を刻んだというエピソードを記念して、ブルーム橋に石の碑文を設置しました。
・ウィリアム・ワーズワース
イギリスの代表的なロマン派詩人、ウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth、1770年4月7日~1850年4月23日)はハミルトンと親友でした。
★備考
William Rowan Hamilton
生没年:1805年8月4日~1865年9月2日
生まれ:アイルランド首都・ダブリン
父:法律事務所経営
兄弟:9人兄弟の4番目
主な著書:1853『四元数講義』、『四元数の基礎』
2012年10月7日日曜日
ペーター・グスタフ・ディリクレ
ペーター・グスタフ・ディリクレ(1805年~1859)
ヨハン・ペーター・グスタフ・ルジューヌ・ディリクレはドイツの数学者です。
■フェルマーの最終定理の研究
「フェルマーの最終定理」(3以上の自然数nについて、x^n + y^n = z^nとなる0でない自然数x、y、zの組み合わせは存在しない)について、n=4 の場合はピエール・ド・フェルマー自身が1640年に証明をし、n=3 の場合はスイスの数学者レオンハルト・オイラーが1770年に証明を公表していました。
n = 5 の場合について、ディリクレは1828年に部分的な証明を与えました。この証明はフランスの数学者アドリアン=マリ・ルジャンドルが完成させましたが、ディリクレも自分の証明を完成させています。
ディリクレは後に n = 14 の場合の完全な証明も行なっています。
★備考
Johann Peter Gustav Lejeune Dirichlet
生没年:1805年2月13日~1859年5月5日
生まれ:ドイツ
妻:レベッカ・メンデルスゾーン・バルトルディ
ヨハン・ペーター・グスタフ・ルジューヌ・ディリクレはドイツの数学者です。
■フェルマーの最終定理の研究
「フェルマーの最終定理」(3以上の自然数nについて、x^n + y^n = z^nとなる0でない自然数x、y、zの組み合わせは存在しない)について、n=4 の場合はピエール・ド・フェルマー自身が1640年に証明をし、n=3 の場合はスイスの数学者レオンハルト・オイラーが1770年に証明を公表していました。
n = 5 の場合について、ディリクレは1828年に部分的な証明を与えました。この証明はフランスの数学者アドリアン=マリ・ルジャンドルが完成させましたが、ディリクレも自分の証明を完成させています。
ディリクレは後に n = 14 の場合の完全な証明も行なっています。
★備考
Johann Peter Gustav Lejeune Dirichlet
生没年:1805年2月13日~1859年5月5日
生まれ:ドイツ
妻:レベッカ・メンデルスゾーン・バルトルディ