2016年10月8日土曜日

フェリックス・クライン

フェリックス・クリスティアン・クライン(1849年~1925年)

フェリックス・クラインはドイツの数学者です。幾何学の研究指針について示した「エルランゲン・プログラム」が大きな業績です。


■エルランゲン・プログラム

1872年、クラインはエルランゲン大学の教授となりましたが、その時の就任講演において幾何学の研究の指針についての考えを示しました。その内容は「幾何学とは、変換によって不変な図形の性質を研究するものである」というもので、「エルランゲン・プログラム」と呼ばれています。この考えにより当時の様々な幾何学が、変換群という視点で分類できるようになりました。


■クラインの壺

クラインは下図のように、矢印を付けた正方形について対辺を矢印の向きが合うように貼り合わせた図形を考案しました。

 ・←←←・
↓ ・ ・ ・ ↓
↓ ・ ・ ・ ↓
 ・→→→・

この図形は「クラインの壺」と呼ばれ、表裏の区別がなく境界もない図形となっています。
クラインの壺は3次元空間に存在することはできません。


★備考

Felix Christian Klein
生没年:1849年4月25日~1925年6月22日
生まれ:ドイツ、デュッセルドルフ
父:プロイセン王国政府首長秘書
妻:アンネ・ヘーゲル
主な著書:『19世紀の数学』、『高い立場からみた初等数学』、『正20面体と5次方程式』
 

2016年2月27日土曜日

ゲオルク・カントール

ゲオルク・フェルディナント・ルートヴィッヒ・フィリップ・カントール
(1845年3月3日~1918年1月6日)

ゲオルク・カントールはドイツの数学者です。集合論や無限に関する研究で業績を残しました。


■超限数

カントールは無限には異なる種類があることを見出し、超限数と名付けました。現代数学では無限集合同士の大小を比較するために、「濃度」という概念を用いています。
超限数は「 ℵ (アレフ)」の記号で表されます。無限集合のうちで濃度が最小のものは「 ℵ0 (アレフ・ゼロ)」で表し、自然数全体の集合 N がこれにあたり「可算濃度」と呼びます。また、整数全体の集合 Z や有理数全体の集合 Q の濃度も ℵ0 となります。一方、実数全体の集合 R の濃度は 2^ℵ0 となります。


■連続体仮説

カントールは、「可算濃度と連続体濃度の間には他の濃度が存在しない」、つまり「 ℵ0 より濃度が大きく 2^ℵ0 より濃度が小さい無限は存在しない」とする仮説を立てました。
カントールは対角線論法により可算濃度より連続体濃度の方が大きいことを証明しましたが、連続体仮説については証明することができませんでした。
この連続体仮説は1900年の第2回国際数学者会議において、ドイツの数学者ダフィット・ヒルベルトによる「ヒルベルトの23の問題」の第1問題として挙げられました。後にクルト・ゲーデル、ポール・コーエンの研究により、連続体仮説は証明も反証もできない命題であることが証明されています。


★備考

Georg Ferdinand Ludwig Philipp Cantor
生没年:1845年3月3日~1918年1月6日
生まれ:ロシア、サンクトペテルブルク
父:ゲオルク・ヴァルデマール・カントール
母:マリア・アンナ
弟:コンスタンティン
妹:ゾフィー・ノビリンク
妻:ファリー・グットマン
息子:2名
娘:4名
主な著書:1885 年『実無限に関するさまざまな立場について 』
 

2016年1月12日火曜日

アナトール・リュカ

フランソワ・エドゥアール・アナトール・リュカ(1842年4月4日~1891年10月3日)

アナトール・リュカはフランスの数学者です。フィボナッチ数の研究等で知られています。


■リュカ数

初項が0、次の項が1、それ以降の項はその前の2つの項の和となっている数列をフィボナッチ数列と呼びます。リュカはこのフィボナッチ数列を研究しました。
初項を2、次の項を1とし、それ以降の項は前2項の和になっている数列のことをリュカ数と呼び、n番目のリュカ数をLnで表したとき、

L = 2L= 1
Ln+2 = L+ Ln+1

となります。


■メルセンヌ数
2^n - 1 (n は自然数)の形の自然数をメルセンヌ数と呼び、 Mn で表します。この中で素数であるメルセンヌ数のことをメルセンヌ素数と呼びます。
リュカは1876年に、  M127 が素数であることを証明しました。


■ハノイの塔

リュカは数学的なパズルにも関心を持ち、「ハノイの塔」と呼ばれるパズルを考案しました。
この「ハノイの塔」は板に3本の杭がついており、はじめの状態では左端の杭に、大きさの異なる円盤(中心に穴が開いている)が何個かはめられています。この状態から、

・円盤は一度に1枚ずつどれかの杭に移動させることができる
・小さい円盤の上に大きい円盤を乗せることはできない

上記2点のルールを守った上で、円盤を全て右端の杭に移動させることがこのパズルの目的です。
円盤がn枚あるとき、全ての円盤を左端から右端まで移動させるためには、最低 2^n - 1 回の操作が必要であることが分かっています。
リュカはこのパズルを販売し、そのパッケージには「Li-sou-stian大学勤務のシャム出身のN. Claus教授」と書かれていましたが、これはリュカの偽名であるといわれています。


★備考

François Édouard Anatole Lucas
生没年:1842年4月4日~1891年10月3日
生まれ:フランス、アミアン
 

2015年12月30日水曜日

サミュエル・ロイド

サミュエル・ロイド(1841年~1911年)

サミュエル・ロイドはアメリカのパズル作家です。


■15パズル

ロイドは14歳の時に、考案したチェスのパズルが雑誌に掲載されました。それ以降チェスを題材にしたパズルやコラムをいくつかの雑誌で担当し、ロイドは著名なチェス問題作者となりました。

1878年には「15パズル」を用いたパズルを考案し、このパズルに1000ドルの懸賞金をかけて発表します。
15パズルとは、1から15までの数字が書かれたタイルを4×4の16マスの格子に配置したものです。1マス分のスペースが空いているので、このスペースを利用してタイルを上下左右に滑らせ、数字の順番を変えて遊べるようになっています。

ロイドが発表したパズルでは最初の配置が14と15が逆、つまり「1、2、3、……、12、13、15、14」となっているものでした。ロイドはこの初期配置からタイルを滑らせていって、14と15の順番だけを入れ替える(「1、2、3、……、12、13、14 、15」)手順を示すことができた最初の者に1000ドルの賞金を与えると宣言しました。

このパズルは大評判となりましたが、ロイドの指定通りに解くことは不可能な問題であったため、ロイドが賞金を支払うことになる心配はありませんでした。


★サミュエル・ロイドに関する雑学

・ロイドの息子は1914年に、父親のパズルを集めた本『パズルの百科事典』( Cyclopedia of Puzzles )を出版しました。

・ロイドはイギリスのパズル作家ヘンリー・アーネスト・デュードニーと親交を深めていましたが、ロイドがデュードニーのパズルを自分のものとして無断で発表するなどしたため、関係は悪化しました。


★備考

Samuel Loyd
生没年:1841年1月31日~1911年4月10日
生まれ:アメリカ、フィラデルフィア
父:不明
母:不明
主な著書:1903年 『タンの8番目の本』(The Eighth Book of Tan)

2015年12月14日月曜日

リヒャルト・デーデキント

ユリウス・ヴィルヘルム・リヒャルト・デーデキント (1831年~1916年)

リヒャルト・デーデキント はドイツの数学者です。代数学、数論の分野で業績を残しました。


■デーデキントの切断

全順序集合Kについて、次の性質を満たす2つの集合A、Bに分けるとします。

1. K = A∪B
2. A∩B = ∅ 、A ≠ ∅、B ≠ ∅
3. a∈A かつ b∈B ⇒ a<b

これらの性質を満たす集合A、Bの対(A、B)を、デーデキントの切断 (Dedekind’s cut)と呼びます。また、Aを下組、Bを上組と呼びます。


★ユリウス・ヴィルヘルム・リヒャルト・デーデキントに関する雑学

・デーデキントは成人してから、名前のうちのはじめの2つは削ったと言われています。

・1981年に、デーデキントの生誕150周年記念として東ドイツで切手が発行されました。この切手には、素イデアル分解を表す式が書かれています。


★備考

Julius Wilhelm Richard Dedekind
生没年:1831年10月6日~1916年2月12日
生まれ:ドイツ、ブラウンシュヴァイク
父:ユリウス・レヴィン・ウルリッヒ・デーデキント(法学教授)
母:不明
兄:法学者
姉:ユリー(小説家)、マチルデ
主な著書:1872年『連続性と無理数』